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昌朋カフェブログ

本の続き

昌朋カフェ
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本の続きを書きます。

食についていのちの尊さをわからなければ一時しのぎの三日坊主で終わる。朝の目覚めも、おはようの挨拶もこのいのちにありがとうがあるかないか。生きているのか生かされているのかまるで違ってくる。暗い夜も自然は休むことなく心臓を動かし、肺を動かし、昨日の疲労素をとり、酸素を送り炭酸ガスを出し修繕してくれて朝の目覚めがくる。人は何も知らないで眠っているだけ。もし疲れをとってくれなかったら人は生きられない。心臓も肺も自分が動かしていない。これは自然の働きです。食べものを選ぶのはこちらですがその材料を使って血液をつくるのは自然の働き。良い血液か悪い血液かそれは選ぶ人間の側にある。いのちあふれる自然の恵みをありがたくいただくのか、頭だけ、理屈だけで食べるのか。それが「いただきます、ごちそうさま」に表現される。そんな日々の生活の健康が基礎となり心を養う。食物でも心が育たないと、便利で簡単で合理的、らくをすることでインスタント的な加工食をとりこみます。体の健康ばかり追いかけても、その健康は毎日の生活が健康でないと実現しない。その生活とは衣、食、住、人間関係、その生活を健康にするには願いばかりあっても実現できなければその心のようにしかでてこない。時間も大事にできず、ダラダラと過ごし、不平不満で生きるのも一生。キビキビと心たのしく生きるのも一生。その生活を健康にさせる根は心の健康がなければ実現は難しい。それはその人の生き方、考え方です。つまり思想です。健全な思想はどこから得るか。それは宗教の役目ですが、本当の宗を教え、生き方考え方を定め信仰を養ってくれるのは宗教です。しかし先祖がたたるからとか世の終わりが来ると恐怖心をあおって理攻めにするのもある。何を信じるか。金が大事、物が大事なら金や物が神様です。玄米が大事で玄米信者というのは玄米が神様。何を宗として生きるのか。それが信仰です。宗教のみでなく、芸術が、哲学が、科学が、歴史が生きるすじを教え、信仰を養ってくれる。ただし上っ面に素通りしたら頭だけのものでしかない。その生き方、考え方がその人の日々の生活となり衣、食、住、人間関係に表情して見せます。そしてこれが運命の健康、不健康につながってゆく。


玄米、玄米は玄米信者だ、と書いていますが本の中半は玄米が良い、とかなり玄米、玄米とご本人も書かれています。本はどのような本でも参考に。玄米もとても良いし、どのような食材もほどほどにとれば良いのではないでしょうか?私も玄米は食べますが玄米100%の飯は食べません。普段は白米に雑穀米を混ぜて、たまに黒豆や小豆を一緒に炊いて食べます。黒豆も水煮など出来たものを買わずに乾燥黒豆を水につけておき、その水ごと炊きます。できたものを後から飯に混ぜても、きちんと黒豆の成分がとれるかなぁ、、と思っているので。食はその時の自分の体調に合わせて食せばそれで良いのではないでしょうか。風邪で食欲がない時や胃の調子が悪いときは白粥に塩だけを入れたものを食べれば良いですし。私も昔風邪をひいて寝込んでいた時などは、母はあえて白粥を作ってくれました。やさしく胃の中にながれていく白粥がとてもおいしく感じました。体が健康でないと、野菜や果物など、食事がおいしく感じられません。祖母も亡くなる前はそうでした。母や兄弟が甘いメロンなど色々とみんなでお金を出し合って買って行ったそうですが、「うれしいけど食べられない。あなた達が食べなさい」と言ってインスタントラーメンなどしか食べなかったと言っていました。すでに舌の感覚が少しおかしくなっていたのかなぁと思います。私も漢方茶を飲みはじめた頃は、おいしいと感じませんでした。高麗人蔘茶もまずくはないけど、、、という感じで。他のお茶もあまり好きじゃないなぁ、、、というお茶もありましたが、今はどのお茶もとてもおいしく感じます。高麗人蔘茶を煮出した香りもとても好きです。どの食材を食べても、ほんのりとした苦味も、身体が健康になっているなと感じます。

普段は食べ物を平気で残す人達が、健康のために、美容のために、長生きのために、漢方漢方と言ってよってたかりますが、そんな人が果たして植物の恩恵にあずかることができるでしょうか?自分がピンチの時だけ、普段はなんの信仰心もない人間が「神様、仏様」と願い、言っているのと同じ。前にテレビで丸どりをビールの缶にぶっ刺して提供しているお店を紹介していました。今の時代の人達はそれを見て「インスタ映えする」と言って写真を撮るのでしょうが、私はそれを見て「人間って本当に残酷だな」しか思いませんでした。動植物を殺して食べるだけじゃ物足りずに、それらで遊んで喜んでいる。根本的な物事の見方がゆがんでいます。植物には様々な色があります。黒、白、緑、黄色、赤、本当に色んな色があります。それらを器に盛るだけで十分に彩り豊かな食卓になりませんか?その他様々な器もあります。今は100円均一でもとてもかわいいお皿がたくさんあります。それで十分ではないでしょうか?食べ物も昔に比べて海外から多くの種類が輸入されるようになりました。それだけで色んな食感を楽しめたりもします。そもそも写真をとらんと飯も食えないんですかね。根本的な問題ですね。

何を宗として生きるのか、その生き方、考え方、とあります。前に韓国のラジオでこんな話をしてくれました。親に捨てられた子が大人になり、努力して立派に独り立ちしてから、「今の自分があるのは自分を産んでくれた母のおかげだ」と言い、自分を捨てた母を探しあて、母に感謝し、親孝行をたくさんしたそうです。もう一つは3人の息子が皆立派な医者になり、独り立ちして、しかし年老いた母の面倒を見るのが嫌で洗濯機の中に母を入れて捨てたそうです。人の考え方、内面は誰にも分からないし見えません。はたから見れば立派な職業についていても、その心の奥も立派だということはありません。この本にもこんな事が書かれています。コーヒーと白砂糖、チョコ、アイスクリームを多くとると神経障害になりやすく、刺激物と白砂糖の組み合わせも脳障害になる例が多い、と。精神面と食の関係は密接です。今私自身が健康でいられるのも祖先のおかげです。漢方医だったひいおじいちゃん、その考え方を引き継いだおばあちゃん、そして食の大切さや知恵を受け継いだ母、そして私へと引き継がれていると思っています。よく、親からの遺伝で、、、と言われる人がいます。遺伝で皮膚にぶつぶつができる、アトピーだ、など色々とありますが、それならばあなたの代でそれを終わらせなければならないですよね。できる限りの食の改善と生活の改善。昔、全身がアトピー性皮膚炎の方にお会いしたことがあります。痛々しくて、食の事を色々と説明したことがあります。揚げ物なども普段からとらないほうが、、、などと言うとその方は「子供が揚げ物好きだし、私だけ家族と違う食事をするのはね」と返されました。安価な油で揚げたものや外でショートニングなどが入った何日も何ヶ月も使い続けた汚い油で揚げたものは子供にもよくないのに、、、。ましてやそんなにひどいアトピー性皮膚炎なら家族も理解し、支えてくれるのが家族ではないのか?と思いましたが何も言いませんでした。人の根本的な考えというものは変わることがありませんし、人の考え方や人生を変える権限など私にはありません。その方は主婦でワークショップなど色々と行っていたようで、時間とお金の余裕があってもそういう考えにはならないと気付きました。知り合いにこんなことを言われたことがあります。あんたが思うほど人は深く考えていない、と。確かに身弱な人間は身弱な考えしかできないですし、嫉妬深い方はそのような考えにしかならない。漢方は素直な人にしか効かない、とよく書かれていますが納得します。東城さんの本にも素直な考えで、というような精神面の内容が書かれていますが、やはりどの本でもそれだけは同じですね。

本当は食の問題は国が変わらなければならない問題です。黒糖の香料しか入っていなくても「黒糖蒸しパン」と表記できる、揚げ油の問題、農薬や化学肥料の問題。前に無添加米を購入したことがあります。送られてきた米に「除草剤は使用しています」と書かれていました。でも無添加のお米と言える。化粧品もそう。無添加と書いていてもたくさんの添加物が表記されている。その会社に聞いてみると「無添加の概念は会社によって違いますから」と言われました。何が無添加なのか無茶苦茶な世の中です。母の幼少期はおばあちゃんが庭で育てた野菜を食べて育ちました。もちろん、もう50年60年も前ですから農薬は使わず育てた野菜です。祖母が育てた野菜は毎年とても立派に育つので、近所の方がいつも種をわけてくれ、と言いにきていたそうです。でも祖母は「種じゃないのにね。手間をおしんだらいけない」と言っていたそうです。毎日虫取りが大変だと言っていたそうです。今も少なからずそうやって個人で自然栽培の野菜を育ててくれている農家の方もいらっしゃいます。その自然栽培が当たり前になり、スーパーで並ぶ野菜もそうなることを願います。

ただ、東城さんが書いている内容はとても素晴らしく、考え方はとても共感しますしすごい方だと思いますが、今、この文明が発達した時代では現実的に難しいだろうと思います。育ち盛りの子がいる家庭でも炊飯器すらなく、出来たご飯を大量に買い、レンジで温めて食べる方もいらっしゃいますし、全て加工された出来上がったおかずしか購入しない主婦の方もよく見ます。それを見るたびに世の中は一生変わらないだろうと感じます。病気がなくなる、もしくはかなり減っていく、ということはこれからもないのでしょう。