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昌朋カフェブログ

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最近は東城さんの本を読んでいます。前にテレビで瀬戸内寂聴さんが本を読まないで恋愛をしろ、不倫も恋愛だ、というような事をおっしゃっていました。とても現代的な考え方ですね。ご自身も執筆されているのにね。

私は様々な本との出会いに感謝しています。ここ何年間で様々な事を知り、そのおかげで行動にうつすことができ、そして経験しています。本の中には必ず真実がかくれています。もちろん、その中には訳の分からない事を書いている方もいます。「本当にこの人は漢方医だろうか?」と疑ってしまうほどしょうもない内容のものもありますが人それぞれの考え方や生き方を学べる部分もあります。うのみにせず参考にすれば様々な本との出会いは自身の糧になるでしょう。

東城さんの「食生活は人生を変える」の本の文章を書いていきます。

*魔法の食べ物はあるか、、、健康法ブームに巻き込まれる。健康でありたい、幸せに生きたいと誰しもが思い願っています。でもその思いのように願いのようになっているかどうか。そうした人々の願いが健康法ブームや自然食ブームをよび、書店に行くと「〇〇健康法」といった本が多くなり、ことに食生活に関するものが多くなっています。例えば「大豆健康法」「ビタミンE健康法」「ガンとビタミンC」その他どんなものが並んでいるかざっと見るとアルファルファ、パイナップル、玄米、黒ごま、酢、サラダ、ミネラル、お茶、クコ、プルーン、梅干し、にんにく、ビタミンC、ビタミンE、カロチン、鶏肉、胚芽、スッポン、粉ミルク、シジミ、豆乳、葉緑素、海藻、あしたば、生野菜汁、深海鮫エキス、自然塩、アロエ、ヨモギ、ゲルマニウム、卵、油など多彩です。それ等には〇〇で健康になれる、〇〇でやせる、〇〇で美しく、〇〇で頭が良くなる、〇〇で長寿といったことが書かれています。こんな具合で部分的なとりあげ方をして、これで健康になれるという感じになっている。特に目をひくのは「脅威の〇〇」というのが実に多い。これ等を読んで〇〇さえ食べればすべて病気が治ると言わんばかりの書き方をしているのを、うのみにしている人も多い。ゆとりと幅をもって読むなら参考にもなるが、困ったことだと思う。例えば牛乳と卵の健康法を読んだ人は、飯もろくに食べず手っ取り早い添加物入り加工食品と牛乳と卵で毎日暮らして腎臓を悪くし、無脳児という奇型を産んでしまったという実例があります。玄米健康法の人は玄米玄米で朝から晩まで玄米でなければ人にあらずという感じでとらわれて、玄米とゴマとヒジキにとりつかれて、きつく真っ黒な顔になり、コリコリになっている。肝臓のひどい疲労がありありと見えます。ここに心のひずみがあり根があります。最近アメリカなどビタミンに関するものが圧倒的に出ているので、それ等が日本にも流れてきて、日々の食生活の改善を考えず、せっせと高価なビタミン剤を胃袋に流し込む。頭を良くするにはカルシウムが大切と聞くとカルシウム剤を流し込む。それ等に洗脳されると、ある一定の食物を大量に飲んだり食べたりすることや、いわゆる健康食品、強化食品、科学的にできあがったビタミン、ミネラル類をとることが食生活を変え、健康になるといった風潮さえあります。子どもにカルシウム剤をやたらに飲ませて細胞が硬化し、動脈硬化や結石、胆石をつくったりする例もあります。不自然なとり方は不自然を残すのは仕方ないことです。栄養は薬では補えない。自然の食物からとる事がごく当然な事がずれてしまっている。楽で便利なもので健康を買おうとする横着さが、むしろ病気や不幸の温床となっている事に気づかない。よくこの頃は「ビタミンCが不足しています。ビタミンCの補給は〇〇で」などのコマーシャルを目にしたり耳にしますが、不足を気にして過剰とアンバランスわを生む。不足を気にして食べすぎる。不足しないような毎日の食生活に気を向けることの方が大切なはずです。昔から多くの人が不老長寿の薬を捜し求め、万病に効くものに憧れてきました。日本でも紅茶キノコ、ヨーグルト、青汁とブームになっています。健康は食生活をぬきにはできませんが、食生活だけでできるものでもありません。まして一つの栄養素、一つの食物で論じるというのは部分的すぎます。

*塩にとらわれて本質を見失う、、、塩がよくない、塩を減らせという。これもまた問題で、やたらと塩を減らして体のバランスをくずし、だるくて動けなくなった人もいる。塩を減らして防腐剤を入れた梅干しや漬物も登場するという始末です。梅干しが腐ったという。その原因も塩を減らせと保健所が指導したという。10%まで大丈夫だと言った。それで自信を得ていきなり20%を10%に減らしたという。今までおいしくできていたのに何故それを続けなかったのか。そこに心のゆるみ、生きる姿勢のずれがある。食べ物は生き物です。心のごとく表現します。科学がどんなに進歩しても、理論でいくらおしまくっても、真理に反するものは必ずその様に表現して教えます。この様に表現してくるものには必ず心の根のひずみがある。その出てきたものをみて、根の腐りをのぞき、植え直さない限り正されない。病気、不幸、災難もそう。すべて根の間違いを知らせてくれているのです。体の健康を願い、運命の健康を望む。そして幸せに生きたいといっても、この日々の生活が健康でなければ足もとからしっかり根づかない。早起きを望んでも、朝になると眠いから明日から、明後日からとなる。生活を健康にしようと思うなら、心が健康にならなければ難しい。心の健康はどう生きるか、どう考えるか、つまり思想の健康によって行動が違ってくる。そして毎日の生活の中に根づいて、見えない日々の積み上げが運命となって現れてくる。運命が健康になるのは、日々の生活の健康から育ってゆきます。部分だけ見て、頭で理屈を組み上げて、手っ取り早く苦労せずに勝ちとろうとしても、それは無理。努力し、体験し、体で知り、得たもの。それが深く染み込んで、なるほどとうなずき納得し、安らぎの中で生きる力となる。自然に添うとは「自ら然り」と書くごとく、心でなるほどとうなずいた時、素直になって川の流れのごとく素直に流れる事ができるという事なのです。


この本の初版は1990年です。そう、何十年も前から様々な事をうったえてくれる方がいるということ。他にも何十年前からこういった内容を書いてくれている本はあります。時代は違えど本質は一緒です。ただ何も変わっていませんが。「飲む日焼け止め」と言ってサプリを飲む。「これすごくお肌にいいんだてぇ」と言いながらもう50〜60代くらいの方でもサプリや液体状のジュレなどを飲んでいます。韓国も一緒です。豊かになればなるほど。こんなに良いお茶の素材が自国に身近に売っているのにインスタントの漢方茶ばかりを飲みます。観光客の方々もインスタントの漢方茶を本当の漢方茶だと思い、おみやげに購入されています。お湯にサッと溶ける甘い漢方茶、、、そんなお手軽なお茶がいいわけないのに。次の世代に伝えなければならないお年寄りの方がテレビやネットに洗脳されて、普段の食事をおろそかにし、加工食品の味に脳が満足して求めてしまう。

韓国のおばさんがコチュジャンをつくって嫁さんに持っていきなさい、というと「いらない」と言われたそうです。市販で売っている甘辛い味のコチュジャンがいい、と言って。バカな嫁です。なぐってやりたいです。おばさんはツボでコチュジャンをつくりますが、天気の良い日はツボの口に網をして、太陽の光を当てて発酵させ1年程かかります。まだ半年くらいの浅いコチュジャンを送ってくれた事がありますが本当においしいです。本当の手作りというものをわからない嫁にむかつきますが、それが今の時代だと思います。もう韓国でも家庭でキムチをつくることも少なくなりました。皆買います。うちもコチュジャンをもち米と米粉で一からつくります。おばさんのように太陽にあてることはできないので、かわりに毎年つくっている味噌と混ぜて発酵コチュジャンをつくりますが、残されることもたびたびあります。外の味になれてしまうとおいしくないでしょう。ピビンバって本当においしいと思うのですが、よく混ぜて口の中にほおりこむと、ごはんの甘み、野菜の苦味、卵のまろみ、コチュジャンの辛味、そして発酵したお漬物も入れるので、その酸味と。全てが口の中であいまって。韓国でも買い付けに行くときにいつもおじさんに連れて行ってもらうごはん屋さんがあります。田舎の方で、農家さんが直接その近所でとれた野菜をふんだんにならべて、おかずも加工されたものはなく、そこでおばさん達がつくってくれたものばかりです。野菜もよくわからないものもたくさんありますが、とにかくブワーッと混ぜて食べると最高においしいです。味噌もそこで手作りで、たまらなく口いっぱいにほおばって食べてしまいます。江華島はカブが有名なのでカブキムチもよく食べますが、ざっくり切ったカブなので大きすぎてだんだんアゴが痛くなってきますが「あぁ幸せだ」と思ってしまいます。食べることって本当に毎日幸せだと感じます。

「お肌に良いお茶なんですか?」とか「冷えに良いものありますか?」などを言うこと自体が私はおかしいと感じています。「身体」というものは全てつながっています。あなたの心臓はあなたの体の中にないのですか?あなたの腸は体の外にありますか?お肌に良いもの、ではなく、身体全体が良くなることで身体全体が健康になります。身体全体が良くなるということは、ハツラツとした皮膚、ハツラツとした瞳、ハツラツとした体となります。心臓だけ良くなったからといって全てが良くなるわけではありません。逆にどこかが悪くなればその周りの臓器、身体全体が悪くなっていきます。「身体」というのはつながっています。部分的に注目すること自体が根本的に違うのではないでしょうか?うちの母は60歳をうんと超えていますが、老眼はなくなりました。今はメガネをかけなくても本を読めます。それは「目」というそのものが良くなったのではなく、身体全体が良くなったことによって目が良くなっただけです。特別に目に良いと言われている食材やお茶を集中的に食べたり飲んだりしたのではありません。まんべんなく食べ、まんべんなく飲んだだけです。部分的なものの見方をするから過剰になります。

身体というのは、心臓、腎臓、胃、腸など全ての臓器がきちんと協力して働いてくれているから身体の循環がうまくいきます。どこか一ヶ所でも滞りがあればそこでストップしてしまいます。機械もそうでしょ?でも人間は機械のように取り替えることはできません。普段からきちんと大切にしてあげないと。

部分的なものの見方はその人自身の考え方と同じで視野が狭くなります。木を見て森を見ないのは全体的なものの見方を見失います。偏りがでます。バランスを崩します。

本当の健康とはなんでしょうか?

あなたが考える健康とはなんでしょうか?

肌がきれいになることですか?

ガリガリに痩せることですか?