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昌朋カフェブログ

漢方

昌朋カフェ
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戦後の話しをたまに母から聞きます。母は戦後の生まれですから戦争の話は分からないそうですが、祖母からよく聞かされたそうです。

食べ物がなく、そこらにある草をちぎって食べたり、常に子どもを連れて逃げまわっていたことなど。話しを聞いていると、戦争は「死」以外は何もうまれないな、と思いました。人間は残酷な生き物だなぁとつくづく思います。

母の兄弟が祖母のお腹の中にいた時期、アメリカとロシアの戦争が終わる頃だったそうで(たぶん朝鮮戦争かな?)祖母は小さな子ども達を連れて、お腹の中にも子どもがおり、逃げまわっていたそうです。食べるものがなく、何日もまともな食事をすることができなかったようで「お腹の子は死産する」と覚悟していたそうです。今は当たり前に子どもを産むことができる時代ですが昔はかなり亡くなってしまったようで、祖母も2人くらい子どもを亡くしています。でも死産すると思って覚悟していた子が、とても元気に生まれてきてびっくりしたそうです。話しを聞いて私が思ったことは、「そこらにある草」のおかげだと思いました。韓国はタンポポの根や葉のナムルを食べる習慣がありますが、そういった食材がお腹の中の子どもに栄養を与えていたんじゃないかな、と思いました。もちろんタンポポだけではないですが、祖母は山の中に入っても食べられる食材、食べることができない食材をわかっており、よく山に取りに行っていた、と聞いたことがありました。だからまともな食事ができなくても、植物が助けてくれたのかな、と思いました。

本当は漢方って庶民の味方だったんですけどね。日本の歴史をたどってもわかるように、五味子も庶民が飲んでいましたもんね。

母も幼少期は家の近くに小山があり、よくナムルやお餅に入れる植物を取りに行っていたようで、「葛根」も生のものをよくかじっていたそうです^_^「葛根」?そう、葛根湯の葛根です(╹◡╹)おやつ代わりによくかじって食べていたそうで、「甘いよ」と言っていました。葛根がおやつなんてうらやましいなぁと思います(o^^o)だから日本では漢方がなんだかとっても「特別なもの」という感じの扱い方をしていることに違和感があったそうです。

でもそれくらい、漢方食材は身近なものだったんだなぁと感じます。卵やお肉やお米が高いですから、母は幼少期は祖母や兄弟と一緒によく山に行き、若葉や根、花などをとってチヂミに入れたりナムルにしたりお餅に入れて食べていたそうです。栄養満点ですね〜。母の抵抗力が高いのもその幼少期があったからかな、と私は思っています。

今は逆に漢方素材が高いですもんねー。「いつからこんなに高くなったんだろう」と母もよく言っています。

もっと身近になれば良いですね。